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そよかぜは、放物線を描きながら、まだ見ぬ世界をもとめて、吹きわたる。
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私は輪廻転生や前世論が好きだから、前世の記憶や今後この命がまた何者かへと変化することを信じている。現生での思いを来世にとか、また自らが復活するとかいう念の入った希望はさらさら抱いていない。生まれ変わったら全く別の生き物となる。だか、ごくまれにものすごく感性が研ぎ澄まされた人間には前世の記憶がみえることがある。と信じている。

先日、世界中から43体のミイラが集められた展示を見に行った。砂漠や湿地帯で放置された遺体は自然にミイラと化した。多くの動物に荒らされることなく奇跡的に頭蓋骨以外が人の形として残っていた。この地球における自然の摂理のもと、人工的且つ科学的な力を加えられることなく自然界で命を全うしたのだろう。

ミイラの最高峰ともいえるエジプトでは約70日間かけて施術していくという。腐敗を防ぐ諸々の処置を施し、樹液を塗って仕上げていく丁寧なさまに文明を感じる。エジプトでは死後の魂は現生と来世を行き来して同じ肉体に戻るといわれるため、心臓は残され、顔に似せた仮面がかぶせられる。まさに死者の復活だ。死後もなお、自己実現を望む。

ミイラは数百年もの時を経て、人々を魅了する。「私も死んだらミイラにしてもらいたいな」。会場では何度もこの言葉を耳にした。大切に守られてきたミイラに対してなんらかの美徳を感じるからだろう。数百年後、同じようにこの地球に人間社会があったとして、自分が展示されていたらと想像するとちょっと面白い。または、宇宙のどこかで浮かんでいたら……。それはないか。人の一生とは実に不思議なものだ。

あるモンゴル人の友人はこう言った。
「死者は星になる。だから流れ星にお願いはしちゃだめよ。流れ星を見たらあれは自分の星じゃないって唱えるの」(古くから伝わる民族的思想)

あるシリア人の先生はこう言った。
「現生とは、死後の世界で幸せになるための世界。良い行いをたくさんすれば死後幸せになれますよ」(死後は神のもとに行くという宗教的思想)

ある敬愛する日本人の芸術家はこう言った。
「なにひとつこの世に残したくないな。墓も仏壇もな」(無神論者のミニマリストといっておこう)

人間は死後も何かを成しえるのか。死後の肉体に意味はあるのか。死生観は時代や生きてきた環境で異なる。もちろん正解はなく、自由であっていい。やっぱり、肉体(ミイラ)は何かを放っているのか。その晩、ミイラが語り掛けているようで少し眠れなかった。

sakin

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