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そよかぜは、放物線を描きながら、まだ見ぬ世界をもとめて、吹きわたる。
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煮た大豆に、米麹や麦麹などのカビ菌で発酵・熟成させたものが味噌。味噌を貯蔵する味噌蔵には、いくつもの巨大な桶がある。その巨大な桶の中でじっくりと発酵させることで、味噌がつくられる。

桶の中には麹菌や乳酸菌など、多くの菌が住みついている。何十年も住み続けている菌や、最近引っ越してきたばかりの菌まで、桶によってさまざま。菌の種類や数など、桶ごとに環境が異なるため、味噌の風味にも若干の違いが生じる。甘みが強いものからあっさりしたもの、酸味があるものから苦みがあるものまで。そうした変えることのできない環境で、職人が温度や湿度設定など、試行錯誤を繰り返して、美味しい味噌が生まれる。

人もまた、生まれた瞬間から環境の中で存在している。生まれた国や地域。家族や友人。家にあるもの、ないもの。さまざまな要素が、その人だけの環境をつくりあげる。そのため、他人の環境にはあって、自分の環境にはないということも生じてくる。

しかし、現代社会において、人は自分の環境に「ないもの」を「あるもの」へ変えることに重点を置いているようにも見える。「これがあれば」「あれがあったら」など、自らを制限するような思考。それは子どもが親に「○○君の家にはあって、どうしてうちにはないの?」と言っているのと同じ。多くのものが溢れ、目まぐるしく技術開発が進む時代で、人は「あるもの」だけで考えることができなくなりつつある。

フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが、自身の著書『野生の思考』で「ブリコラージュ」という概念を提唱した。ブリコラージュとは、フランス語で「日曜大工」を意味する。文化人類学においては、あり合わせの道具や材料で、本来の用途に関係なく、自分たちの環境に役立つものを生み出すということ。つまり、目標を設定して準備するのではなく、身近なものから思考してつくりあげていくということ。その考え方は、味噌づくりにも当てはまる。すでにある環境で、どうしたら美味しい味噌になるか、知恵をしぼり、試行錯誤を繰り返す。この過程がブリコラージュであり、現代社会に求められる思考ではないだろうか。

ないものを考えるのではなく、あるもので考える。味噌づくりのように、自分の環境でじっくり時間をかけ、思考を発酵・熟成させる。人の環境はそれぞれ異なるのだから、生まれてくる発想も異なるはず。その発想が、何かを変えるきっかけになるかもしれない。

岡部悟志

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